[水神社]
祭神:速秋津彦命、速秋津姫命、応神帝。

 神田川の直ぐそばにある。この神社の横には急な胸突坂が旧田中光顕邸の蕉雨園と旧細川家中屋敷の永青文庫の間を抜けている。
 この神社は、「江戸砂子」に「上水開けてより水門の守護神なり」とある。
 
目白台1-1-9

[川俣温泉平家塚]

 壇ノ浦の戦いに敗れた平氏一党は西国から全国各地へと散っていった。しかし、源頼朝率いる関東勢の追求激しく、次第に山奥へと追い詰められていった。その中の一部が川俣へと落ち延び、自らの出自を隠すために、鎧冑をこの塚に埋めたという。
 以来、この塚を見ると目が腐り、指差すと指が腐るという言い伝えが残された。塚のもとには鎮魂のための小社が建立されている。
 近くにはまた、平家平という地名やもう一つの平家塚がある。

[川俣温泉薬師堂]

 もともとは、50メートル西の湯前神社の境内にあった。しかし、昭和24年のキティー台風によって湯前神社が被災。薬師堂を除いて壊滅した。 その残った薬師堂を昭和51年に現在の地に移築したという。
 見るかに古いということがわかるが、栗山村で一番古い建築物とされる。また、起源としても、宝暦11(1761)年の御神籤箱が残されているというようにかなり古くまで遡る。

[高尾稲荷社]

 新吉原三浦屋の高尾太夫を祀る神社。
 高尾太夫は隅田川三又で仙台侯伊達綱宗によって吊るし切りにあって遺体は打ち捨てられたという。時に、万治2年のこと。
 高尾太夫の遺体が打ち上げられた地に太夫を祀ったのが高尾稲荷社である(旧東神倉庫内)。
 その後、明治5年には日銀や北海道開拓庁が、この地に建設されたことに伴って移転。
 なお、昭和50年には同地より太夫の頭蓋が発掘され、伝説の正しさが改めて証明された。