飯島氏館

埼玉は越谷にある飯島氏の館。

飯島氏は信濃飯島城を本拠地とした一族。飯島氏は源経基の子の源満快の流れを汲む甲斐守源為満の子の源為公(Tametomo)が信濃守として下向したことに始まる一族。源為公の母親は河内源氏の祖の河内守源頼信の娘で、源義家(1039-1106)や源義光(1045-1127)の従兄弟に当たります。源為公は伊那上ノ平城を築城して南信濃に勢力を拡大したと言われています。源為公の子孫の為綱が1185年(寿永4年)に飯島城を築城したといいます。

1538(天正10)年に武田領に侵攻した織田信長の軍勢によって飯島城は落城。城主の飯島小太郎父子は討死。後に、子の飯島晴吉の子・辰千代が1601(慶長6)年に徳川家康によって召し出されて井伊直政の配下に置かれ、武蔵国四條村に家臣とともに移住したといいます。