丸山城

神奈川は伊勢原の下糟谷にあるお城。

鎌倉幕府御家人の糟屋左衛門尉有季(-1203)の館とも言われています。

糟屋氏は相模国大住郡糟屋荘の荘司であり、糟屋有季の妻は比企能員の娘。この関係で、1203(建仁3)年9月2日に鎌倉幕府第2代将軍源頼家の外戚である比企能員が鎌倉幕府初代執権北条時政によって討伐されると、糟屋有季は比企一族とともに戦い討死。

しかし、断続的とはいえ現存する曲輪の規模や、曲輪の縁の土塁や櫓台などを見ても鎌倉時代の館の跡とは考えにくいと思われます。

そこで、従来は上糟谷にあったとされていた扇谷上杉家の本拠地である糟谷館が、実は下糟谷にあって、この丸山城こそが関東管領山内上杉顕定と扇谷上杉定正との間で戦われた長享の乱(1487-1505)や、越後守護代・長尾為景を攻めた山内上杉顕定が越後で討死したことで山内上杉家の家督を二人の養子、上杉顕実と上杉憲房が争い、これに古河公方・足利政氏・高基父子の対立が加わった永正の乱(1510-15)に際して城郭化した糟谷館であるという可能性が浮上しています。