古河公方館

館は鴻ノ巣御所とも呼ばれました。

足利成氏の時代に築かれたと考えられています。しかし、1582(天正10)年に第5代古河公方足利義氏が亡くなった後、跡継ぎがいなかったために息女の氏女に300石を与えられて領地が召し上げられてしまいます。

その氏女は、1590(天正18)年に豊臣秀吉が名家断絶を憂いて、小弓御所足利義明の孫の国朝を古河公方の跡継ぎとし氏女と結婚させ喜連川5000石とします。

後に国朝に先立たれた氏女は弟の頼氏と結婚し義親を産みます。義親が亡くなり尊信が喜連川家を承継すると本拠地を喜連川に移し古河館は廃墟となった。