八王子城

関東随一の名城、八王子城。

八王子城は豊臣秀吉による関東侵攻に備えて、3代目北条氏康の三男の北条氏照によって築城されたお城。

北条氏照は、武田信玄の関東侵攻の際に落城しなかった滝山城から、更なる大侵攻に備えて八王子城を築いたと言われます。

前田利家、上杉景勝が率いる1万5千の豊臣軍の攻撃を受けた時、城主の北条氏照は滝山衆4000を率いて小田原の防衛に当たっていて不在。

城に城代の横地をはじめ、金子・大石・平山・中山・近藤といった北条屈指の武将が残りますが、城代の横地以外は討死。

北条氏照の妻の比佐は前田利家による助命を潔しとせずに自害。比佐に仕えていた女性達も自害。

前田・上杉合わせて558人の城兵を討ち取り、両軍合わせて1300人が戦死したと伝わります。

八王子城全滅の報告を受けた小田原の北条氏政は降伏を決断し、八王子城主の北条氏照は兄の氏政とともに小田原城下で切腹します。

ところで、八王子城代の横地吉信は八王子落城時に城を逃れ、平山氏の本拠地の檜原城に落ち延び、そこも落城すると小河内で自刃したと伝わります。


本丸は意外に狭い印象


金子家重が前田利家軍を受け止めて討死した金子曲輪


中山家範が前田利家軍と上杉景勝軍に挟み撃ちに合いながら奮戦し討死した松木曲輪

八王子城攻めの先鋒を担ったのは松井田城主の大道寺政繁。松井田城が前田・上杉・真田軍によって落城した際に助命され豊臣に加わった北条家の宿老です。

大道寺政繁は武蔵松山城鉢形城攻めの先鋒となり、八王子城攻めでも活躍します。

しかし、小田原城落城後に、豊臣秀吉から北条氏政・氏照兄弟と同罪とされ川越で切腹となります。

歴史にifはNGですが大道寺政繁が松井田城を死守し、その後の八王子城攻略に先鋒を勤めていなければ豊臣軍の関東平定はスムーズには行かなかったことでしょう。