山中城

後北条氏第3代当主の北条氏康が永禄年間(1558〜1570)に築城した静岡県三島市にある中世末期の山城です。

北関東の佐竹氏、宇都宮氏らが豊臣秀吉に接近すると北条氏と豊臣氏との関係は悪化。第4代当主の北条氏政は豊臣秀吉との戦いに備えて、山中城の改修を行いますが完全な改修を施す前に豊臣秀吉率いる大軍を迎え撃つこととなります(1590)。

豊臣秀次が7万の軍勢を率いて北条方の北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊が守る山中城を攻撃。従来、山中城は半日で落城したと言われていましたが、少なくとも一日掛けて戦闘が行われ、しかも、かなりの激戦だったようです。


三の丸の宗閑寺にある攻城戦で討死した豊臣軍の一柳直末の墓所


三の丸の宗閑寺にある攻城戦で討死した山中城主松田康長の墓石(右)、副将間宮康俊とその弟の間宮信俊、そして多米長定の墓塔