戸田城

埼玉は戸田にあって現在は光明寺となっているお城。

ここは『新編武蔵国風土記稿』によると、桃井直常の屋敷とされています。桃井直常(1376〜)は足利家の一門で、足利尊氏に従って全国で北朝軍と戦い、1338年には若狭守護になった人物。越中で庄ノ城、千代ヶ様城、布市城などを築城した人物です。

室町幕府内で足利直義派と高師直派が対立し観応の擾乱が勃発すると、桃井直常は足利直義派として戦います。しかし、足利直義が敗れ鎌倉浄妙寺境内の延福寺に幽閉されると、桃井直常は行方不明となります。

1355年に足利直冬を擁立して以降、信濃・越中で合戦を繰り広げます。その後、鎌倉で鎌倉公方足利基氏の保護下に入り、足利基氏が没すると、室町幕府第2代将軍・足利義詮に帰順します。室町幕府内で権勢を集中させていた斯波高経・義将父子が貞治の変で失脚すると、桃井直常の弟の直信が越中守護となります。

しかし、桃井氏の頂点はここまでで斯波氏が幕政に復帰すると越中守護から解任。桃井直常は越中に入り抵抗を試みますが、能登守護吉見氏頼との合戦に敗れて飛騨の姉小路家綱の庇護下に入ります。その後、どうなったかは不明ですが、能登守護畠山氏の重臣である温井氏は桃井直常の子孫という伝承を持っています。

さて、桃井直常の館があったとされる戸田城ですが、周辺に元蕨の地名が残ることや、後の蕨宿が元蕨から移転して形成されたことから蕨城との何らかの関係があったと考えられます。