稲村城

戦国大名里見氏の16世紀前半の千葉のお城。

里見氏は鎌倉(古河)公方に従って房総半島入りして4代目の義豊まで稲村城を本拠地としました。

北条氏綱に対抗して鎌倉に海を越えて攻め入ったのは義豊です。

ちなみに、鎌倉に攻め入って美人の尼を連れ去ったのは6代目の義弘。もっとも、連れ去ったというのは語弊があり、二人はもともと恋仲だったとも言われます。

それはともあれ、4代目義豊は父親の義通が亡くなったときに若年だったために、義通の弟の実堯が後見人になります。

やがて義豊は成人すると家督の返還を求めますが、実堯は応じなかった時に、北条氏綱が海を越えて上総に侵攻。義豊も実堯も対北条氏対策として家中団結が必要と考えて、互いの排除に乗り出します。結局、実堯は義豊に敗れて討死。

ここで話は終わらずに、なんと、実堯の子の義尭が敵であるはずの北条氏綱に援軍を求めます。そして、北条氏綱と里見義尭の連合軍に稲村城を包囲された里見義豊は自刃。

里見義尭が里見家の当主となり、お城を岡本城に移します。

その岡本城の後に移ったのが館山城になります。