放生津城

富山は射水の放生津(富山新港)にあるお城です。

鎌倉幕府執権の北条氏の一族で越中守護の名越時有が築城したと伝わります。名越時有は鎌倉幕府滅亡時に、ここで一族とともに自刃しました。

室町時代には越中守護畠山氏の家臣である神保氏が居城としました。

それだけではありません。

このお城は1493年に室町幕府第10代将軍足利義材が戦乱の京都を逃れ幕府を移した地でもあるのです。足利義材はその後第12代将軍として復帰しますが管領の細川高国と対立し阿波に逃れて一生を終えています。

放生津城のほうは1520年に越後守護代の長尾為景(上杉謙信の父)の侵略を受け陥落。神保慶宗は自刃。その後、神保氏は長尾家の傘下に入り富山城に本拠地を移しました。