柳河城

福岡は柳川にあるお城です。

蒲池氏が築城したと伝わります。

1558年に蒲池鑑盛が本拠地を蒲池城から柳川城に移して大改修が行われました。

柳川三年肥後三月、肥前、筑前朝飯前と言われた名城で、龍造寺隆信や鍋島直茂が攻めよせた際にも持ちこたえています。イメージとしては関東でいうところの小田原城でしょうか。

最後の当主の蒲池鎮漣は義父でありかつて擁護した龍造寺隆信に接待され、佐賀城に少人数で入った時に与賀神社で龍造寺軍に囲まれ襲撃され討死しました。

蒲池鎮漣が父親から騙し討ちにあったこと知った鎮漣の妻・玉鶴姫はその後も蒲池家に留まり家臣団とともに押し寄せる龍造寺軍の中で自害したことで知られています。

龍造寺ですら騙し討ちという手段を用いなければ攻略することが出来なかったお城が柳河城ということになります。

江戸時代は立花氏のお城となっています。