姉小路氏館

飛騨古川にある戦国大名姉小路氏のお館です。

近くには姉小路氏のお城が小島城、小鷹利城、向小島城、古川城、傘松城と沢山あります。

姉小路家は小一条流藤原師尹の子の藤原済時を祖とする公家の家柄。飛騨国司に代々任命されてきた経緯があります。

姉小路氏は、伊勢の北畠氏、土佐の一条氏とともに公家出身で大名となった三国司の一つ。1294(永仁2)年には京都から飛騨に下向したといいます。

室町幕府の飛騨守護であった京極氏(足利尊氏の親友でる佐々木道誉の子孫)の家臣だった三木良頼が断絶した姉小路家の家督を受け継いで姉小路を名乗って戦国大名化していきました。

明確に足跡が分かるのは、やはり南北朝であり、姉小路家綱は1371(応安4)年に越中に攻め入り桃井播州と闘っています。

私が飛騨の地に赴いたときに、応永飛騨の乱600年ということで催しが行われていました。

飛騨では姉小路氏と江馬氏の二氏が覇権を競いました。

1411(応永18)年に、第4代姉小路尹綱が広瀬常登入道とともに、南北朝合一に不満を抱いた後亀山法皇の吉野出奔に合わせて挙兵。室町幕府は京極高貞、小笠原持長、朝倉左右右衛門、甲斐小太郎に追討を命令。激戦を繰り広げ、姉小路尹綱は討死。

しかし、この乱の後に、姉小路氏が滅亡したという訳ではなく、嫡流である小島家の他、古川家、小鷹狩家の三家に分裂したものの勢力を温存することになります。

姉小路氏が事実上歴史の表舞台から姿を消すのは永禄年間に三木良頼によって家督の乗っ取りが行われ飛騨守の位が奪われ、その息子である三木自綱が姉小路の家督を正式に承継した時です。この時以降、姉小路氏嫡流歴代の居館の政治的役割は終わりを告げた。