印象派

アカデミズムと呼ばれた新古典主義と、それに反発したロマン派、さらに現実を追及した写実派と続いた絵画の流れは印象派へと繋がっていきます。

写実派も現実に目を向けて庶民などを題材としましたが、印象派は明るさと一瞬の輝きに焦点を当てた点が異なります。

エドゥアール・マネ[Édouard Manet;1832/01/23-1883/04/30]は1863年のサロンに落選。落選作品を展示する落選展で、全裸の女性と背広の男性2人がピクニックする姿を描いた『草上の食事』で保守派の画家達から酷評を受けます。

この中でマネを支持する若手画家がマネの周りに集まってくるようになります。これが印象派の始まりとなりました。

1860年代後半に彼らが集った場所は、パリ、バティニョール街[Batignolles]の「カフェ・ゲルボワ[Café Guerbois]」。そこに、ルノワール、ドガ、ピサロ、セザンヌ、モネといった印象派の人々が集まり芸術論を戦わせたといいます。

ドガ、ルノワール、モネらはやがて独自にグループ展「画家、彫刻家、版画家の匿名協会」を企画するようになります。もっとも世間の風当たりは強く作品に対する批判が相次ぎます。特に、モネの『印象・日の出』への批判は激しく、「画家、彫刻家、版画家の匿名協会」は揶揄の意味も込めて「印象派展」と呼ばれました。これが印象派という名の由来になっています。