最後の晩餐

初期ルネサンスのベルナルド・ロッセリーノ[Bernard Rossellino,1409-1464]の作品.

弟のアントーニオ・ロッセリーノともども彫刻家,建築家として活躍.

サンタ・クローチェ聖堂のレオナルド・ブルーニの墓碑の制作で,ローマ教皇ニコラウス5世に認められる.

ローマ教皇ピウス2世に招かれ1459年から1462年にかけて,ピエンツァ大聖堂とパラッツォ・ピッコロミーニ建設に従事.


ルネサンス


註:
ニコラウス5世[Nicholaus V,1397年11月15日〜1455年3月24日,在位:1447年〜1455年]は,イタリアのサルザーナ出身で最初のルネサンス教皇と言われる.フラ・アンジェリコをフィレンツェから招聘したことでも知られる.在位中の1453年には,オスマン帝国第7代スルタンのメフメト2世によってコンスタンティノープルが陥落,東ローマ帝国パレオロゴス王朝皇帝コンスタンティノス11世は敵陣突撃後に行方不明となり,東ローマ帝国が滅亡している.なお,1460年にはペロポネソス半島自治領土モレアス専制公領,1461年には黒海沿岸のトレビゾンド帝国[Trebizond,1204〜1461]が滅亡し東ローマ帝国の命脈は尽きた.モレアス専制公はパレオロゴス王朝皇帝コンスタンティノス11世の兄弟であるソマスとディミトリオスであり,ソマスはローマに逃れ,ディミトリオスはオスマン帝国に降伏した.トレビゾンド帝国は,1204年にコンスタンティノポリスが第4回十字軍によって陥落させられた時に東ローマ帝国皇帝アンドロニコス1世コムネノス[在位:1183〜1185]の孫アレクシオス・コムネノスによって建国された亡命帝国が起源.テュルク系イスラム王朝である白羊朝[Akkoyunlu]ウズン・ハサンの支援を受けてオスマン帝国に対抗するも,オスマン帝国第7代スルタンのメフメト2世が白羊朝を攻めて従属させた後は後ろ盾を失って,トレビゾンド皇帝ダヴィドは降伏.1463年に3人の息子と処刑された.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.





















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