東勝寺腹切り矢倉

最期の得宗である北条高時は新田義貞軍に攻められ、一族もろともに、東勝寺で切腹して果てた。東勝寺は第3代執権泰時による創建。新田義貞による鎌倉侵攻による北条一族族滅時に北条方が火を放ち灰燼に帰した。後に再興され関東十名刹三位に数えられるも戦国期に廃寺となる。