水戸城

水戸城は1193(建久4)年、平国香の流れを汲む大掾氏嫡流の多気義幹が八田氏によって失脚。源頼朝によって大掾氏庶流の吉田資幹が常陸大掾氏(馬場大掾氏)を承継し館を築いたのが始まり。

大掾氏は室町時代の上杉禅秀の乱において上杉禅秀軍に加わり敗れる。

1426(応永33)年、鎌倉府の意向を受けた河和田城主江戸通房が水戸館を急襲。大掾氏を追放。大掾満幹父子は1426(永享元)年に鎌倉公方足利持氏によって処刑された。

江戸氏の支配は室町時代を通じて続き水戸館は水戸城となった。

しかし、豊臣秀吉の小田原攻めに参加した太田城主佐竹義宣によって江戸氏は水戸城を失った。

その佐竹義宣も石田三成と結んだために徳川家康によって秋田へと移され水戸城は徳川家の支配するところとなった。


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