庁鼻和城

初代関東管領の上杉憲顕が新田氏を牽制するために子の上杉憲英を現在の国済寺の地に据えたのが始まり。館は一辺が170メートル程の方形であったとされる。上杉憲英は城の名を取って庁鼻和上杉を名乗った。房憲の代に古河公方に備えるために近くに深谷城を築城し新たな本拠地とした。


土塁の名残


参考:埼玉県の城館