勝山御殿

1863(文久3)年、孝明天皇の要請によって江戸幕府第14代将軍徳川家茂は開国を迫る欧米列強に対する攘夷を約束。これを受けて長州藩は馬関海峡を封鎖し英米仏蘭四国の艦船に対する砲撃を開始(下関事件、1863年)。

これに対して英国が呼び掛け米仏蘭三国と連合艦隊を編成し長州への報復を決定し下関戦争へと発展。

当時、長州藩支藩である長府藩の藩邸は関門海峡に面した櫛崎城にあった。これでは英米仏蘭四国連合艦隊からの攻撃に晒され危険であるとのことから、長府藩は急遽内陸に勝山御殿を築城した(1864年2月)。

下関戦争は1864年8月5日から8月7日に掛けて馬関および彦島砲台を四国連合艦隊が攻撃し占領され長州の敗北に終わった。


山口県の城館