紀伊田辺城

紀伊半島への美と歴史の旅を敢行した11月に訪問。

田辺市内に宿泊したので田辺城址はすぐ近く。田辺大橋の東側橋詰に水門と石垣のみを残している。その姿は道路から見下ろす形になる。

つまりは目立たない。周囲もすっかり宅地化されていて一目するだけでは、ここが城であったことなど分からない。

しかし、ここには、浅野長政の長男である浅野幸長(1576-1613)が和歌山城主になったことに伴って浅野氏定が入り湊城を築城した場所。浅野幸長が没すると子が無かったために弟の長晟(1586-1632)が家督を承継。1619(慶長19)年に安芸広島藩主・福島正則の改易に伴って浅野長晟は加増移封。

代わりに駿府藩から、徳川家康の十男・徳川頼宣(1602-1671)が紀州藩主となると付家老の安藤直次(1555-1635)が湊城を拡張して田辺城とした。

安藤直次は、本多正純や成瀬正成と共に家康の側近として初期幕政を仕切った人物。1610(慶長15)年に徳川家康によって徳川頼宣の付家老を命じられるが、1616(元和2)年までは幕府の老中も務めている。