堺幕府

室町幕府12代将軍・足利義晴を擁立した管領・細川高国を近江に放逐した細川晴元が、足利義晴の弟・義維を擁立し樹立した幕府の政庁が置かれた場所。そこが堺の顕本寺。ここに1527年から1532年の間、事実上の幕府が置かれた。

堺幕府が置かれた当時の顕本寺は関口神社近くの甲斐町山ノ口を中心に七堂伽藍100有余末寺を抱え広大な敷地を有していた。

細川高国を討伐した後、細川晴元が台頭する三好元長を警戒し、元長の従叔父の三好政長や摂津衆と組んで堺幕府を攻撃。

劣勢に立たされた三好元長は堺公方足利義維と自身の子の三好長慶を阿波に逃し自害。

堺公方足利義維は三好氏の本国阿波平島に逃れ平島公方となる。平島公方足利義維の子の足利義栄は三人衆に擁立されて室町幕府第14代将軍となっている。


三好元長の墓


山ノ口商店街


大阪府の城館