東根城

巨大。その一言に尽きる。場所は山形県の東根。1347(正平2)年に南朝方の小田島長義が築城した小田島城の本丸跡。明治18年までは雄槻と呼ばれるもう一本の欅があったという。今は雌槻と呼ばれてきた、この一本だけになったが、それでも圧巻である。高さは28メートルもあり、日本一というのも頷ける。小田島城(=東根城)の本丸跡にあるのだが、その歴史は城よりもずっと遡る。樹齢1500年は下るまいという。すると、城は欅の周囲に築かれたというべきだろう。


2010年7月17日訪問

この城は南北朝から室町に掛けての古城址。

1395年には足利将軍家に連なる最上一族の天童頼直の子である里見頼高が城主となった。里見家は東根を名乗り7代の頼景の代に至る。頼景は天童頼久の弟。この関係から、最上氏が天童氏を攻めた際に攻撃を受けた。

しかし、家老の里見景佐が最上氏に内通し落城。もっとも、頼景が1581(天正9)年に庄内で討死した後に景佐が跡を継いだとの説もある。ともあれ、里見景佐は1620(元和6)年に死去。翌々年の1622年に最上家が改易される。第9代城主の里見親宣は阿波の蜂須賀家に預けられた。

東根城は山形城主鳥居忠政の支配下で仙台藩への備えの城として鮭延城とともに廃城を免れる。城の破却は1661(寛文元)年。二の丸に陣屋が置かれたが、それも、1668(寛文元)年に天領となって後に破却された。

小田島(東根)城の本丸跡の裏手には第8代城主の里見景佐の御霊屋がある。里見景佐は1584(天正12)年に城主となった人物。五輪塔は嫡子で第9代城主の里見親宣が建てたもの。