一宮館

神奈川は寒川は鎌倉幕府を創建した源頼朝を石橋山の合戦(1180年)で救った梶原景時が一之宮庄を所領し館を構えた地。

現在、天満宮の建つ地は少し盛り上がっているが、館の物見台の名残だと考えられている。

梶原景時は源頼朝の側近となったが、頼朝の死後、他の鎌倉御家人と対立。

結城朝光に謀反の疑いありとして第2代将軍源頼家に讒言を行ったとして66人の御家人からの弾劾を受ける。

その結果、鎌倉から追放(1199年)。

景時は、一時、この一之宮の館に籠り、1200年に一族郎党を率いて京都へと向かった。源頼朝の遠戚に当たる甲斐源氏の武田有義を将軍として擁立することを目指したのだ。

しかし、その途上、駿河狐ヶ崎で鎌倉幕府方の吉川小次郎の追討を受け討ち死にした。館を守っていた少ない郎党は尾張へと身を隠したという。そして、伝承と僅かな痕跡だけが残された。なお、後北条氏の家臣として、室町時代に武蔵国の馬込城に本拠を置いた梶原氏は鎌倉党梶原景時の末裔との伝承を持つ。


梶原景時の夫人とともに信州に落ち延びていた七人の郎党が、後に梶原家の復興を幕府に願い出たものの、受け入れられず自害して果てたのを祀ったとされる伝梶原七士の墓


2005.11.20


神奈川県の城館