蒲形城

下ノ郷城とも、西ノ郡城ともいわれる下ノ郷鵜殿氏の居城。鵜殿氏は長将が上ノ郷城を居城とし、長存が下ノ郷城を構えて居城とした。惣領家は上ノ郷鵜殿氏である。上ノ郷の鵜殿長将は今川氏に仕え、子の長持は今川義元の妹を妻とし今川家と縁戚関係に入った。今川義元の妹は竹谷松平親善に嫁いで松平清善を産んだが離縁。鵜殿長持に再嫁し長照を産んだ。

1560(永禄3)年5月19日、桶狭間の戦いにて今川義元が織田信長に討たれても、鵜殿氏は惣領家は今川家に仕え続けた。しかし、下ノ郷鵜殿玄長の子長龍は松平元康(徳川家康)の陣営に加わり、深溝松平氏、竹谷松平氏と姻戚関係に入り、吉田城主酒井忠次の旗下に置かれた。

1590(天正18)年、下ノ郷鵜殿長龍の弟の長信が徳川家康の関東移封に伴って蒲形城を去り下総国匝瑳郡南条庄堀河村に知行を得るが1592(天正20)年に死去。子の藤助には相続が認められず下ノ郷鵜殿家は断絶した。


鵜殿長存開基の長存寺にある鵜殿一族の墓


三河の城館