棚木城

能登半島の宇出津湾に突き出た遠島山と呼ばれる岬にある古城址。

15世紀に能登守護職の畠山義統の次男である棚木左門による築城と伝わる。大永年間(1521-28)に、棚木新五連之が長秀連の養子となり長英連と対立。連之は越後に落ち延びて黒滝長氏の祖となっている。

1576(天正4)年に越後の上杉謙信が能登に侵攻。1577年に七尾城を攻略、黒滝長氏の長景連を奥能登の正院川尻城に配置した。

しかし、1578年に上杉謙信が死去し越後で御館の乱と呼ばれる後継者争いが勃発すると、旧畠山氏家臣団の三宅長盛、温井景隆が織田信長の支援を得て長景連を猛攻。長景連は耐えきれず越後に撤退する。

その後、1582年に越中魚津城で織田軍と対峙した上杉軍は再び長景連に棚木城を攻めさせ占拠に成功する。これに対して、織田軍の前田利家が旗下の長連龍を差し向け激戦を繰り広げた。

長連龍は同族である長景連の説得を試みたというが長景連の決心は堅く城を枕に討死した。ここに棚木城は織田の城となったのである。