来迎院_大本山泉湧寺塔頭_真言宗泉湧寺派
 天皇陵に足を伸ばし泉湧寺を見学。その後で天皇陵への道を今度は天皇陵に向かって左に坂を下りる。丁度、谷間になったところに来迎院や今熊野観音がある。  来迎院は藤原信房が泉湧寺4世月翁和尚に帰依して立てたものという。門前に確かに来迎院とあるが、ゆな(胞衣)荒神社とある塔が目立つ。これは、荒神堂に安置されている本尊の木造荒神坐像のことを指す。荒神坐像は鎌倉時代の作であり、唐風の衣冠束帯を身に付けた極彩色玉眼入りであることから胞衣荒神とも言われる。 果たして、来迎院は寺なのか神社なのか。 泉湧寺の塔頭であるのであるから確かに寺なのである。しかし、これは愚問というものかもしれない。寺院と神社との明確な区別は明治における廃仏毀釈によって生じたのであり、それ以前の日本は1000年にわたって神仏混交を当然としてきた。 その名残はここにもあるのだ。 この来迎院、赤穂浪士の大石良雄が山科に居宅を構えるに当たって寺請証文を出したとのこと。そのために、大石の寄進とされる茶室含翠軒、大石の持念仏えある勝軍地蔵尊を伝えている。

2004.3.13訪問