萩ノ尾薬師堂_東京都武蔵村山市
 本尊、薬師如来像。
 青梅街道沿いにある。本尊の薬師如来像は、『新編武蔵風土記』によると、北條氏照の娘である於寿免の方のものという。この近辺に住む乙幡氏(乙幡一族は近世武蔵国村山郷における有力氏族)は北條家家臣であり、豊臣秀吉による小田原成敗の後(天正18[1590])に於寿免の方とともに村山郷に落ち延びたのだとするのである。その一方で、『乙幡泉家文書』を根拠として、滝山城主北條氏直の家臣石川土佐守の死後そのの娘であるお袮い殿を守って乙幡(追幡)孫三郎が中藤村に逃れ、そのお袮い殿の守り本尊が、この薬師如来像とする説もある。乙幡(追幡)孫三郎は袮い殿の眼病平癒として建立された拝島村の大日堂建立に寄与したとされる。そして、それを裏付けるように幕末まで乙幡氏は大日堂の鍵取りの任にあった。こうした伝承からすると創建は天正年間ということになりそうである。もっとも、この守り本尊のために薬師堂が建立されたのかというとそうでもないらしいということが、脇にある宝篋印塔の存在が物語っている。宝篋印塔は通常、基壇、塔身、笠、相輪からなる。この宝篋印塔は残念ながら基壇と笠を残すのみであるが、延文元(1356)年の銘を読み取ることが出来る。なお、基壇部分には格座間と呼ばれる二重の枠があり関東型の特徴を持つ。
また銘文に被葬者が了意禅尼であることが刻まれている。
武蔵村山市中央3丁目字萩ノ尾

2004.1.31訪問
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