フランス史

メロヴィング朝

フランク族の支族のサリ族が築いたフランク王国の王朝.

年月日出来事
481クロヴィス1世[Clovis I:Chlodovechus,位:481-511]が全フランクを統一しメロヴィング朝を開く.メロヴィングの名前はクロヴィスの祖父でフランク人サリ族を率いた王の名前に因む.
486クローヴィスがソワソン管区を陥落させる[ソワソンの戦い].ソワソン管区は、西ローマ帝国衰亡後のローマ人支配地域[残存国家;Rump state]であり、西ローマ帝国皇帝によって任命された執政官・シアグリウス[Afranius Syagrius]によって統治されていた.シアグリウスは軍団指揮官を意味するドックス[Dux]を称した.ドックスはデューク[公]やドージェ[統領]の語源.
496[クロヴィスの改宗]クロヴィスが家臣とともにアリウス派キリスト教から正統派のアタナシウス派キリスト教に改宗.
506西ゴート王国[Visigoths]をヴイエの戦い[Battle of Vouillé]で破り西ゴート王アラリック2世[Alaric II]を討ち死にさせる.これによりアキテーヌ[Aquitaine]がメロヴィング朝の支配下になる.
511クロヴィス1世が死去.遺領はテウデリク[Theuderic I]、クロドメール[Chlodomer]、キルデベルト[Childebert I]、クロタール[Clothar I]に分割された.テウデリク[Theuderic I]はアウストラシア[Austrasia]を、クロドメール[Chlodomer]はオルレアン[Orléans]を、キルデベルト[Childebert I]はパリ[Paris]を、クロタール[Clothar I]はソワソン[Soissons]を引き継ぐ.
534ソワソン王クロタール1世がブルグンド王国[Burgundians]を滅亡させる.
588キルデベルト[Childebert I]が死去すると、クロタール1世はフランク王国を再統合しフランク王となる.
561/11/29フランク王クロタール1世が死去.4人の息子、カリベルト、グントラム、シギベルト、キルペリクによって分割.カリベルトの死により、アウストラシア[Austrasia]をシギベルト1世、ネウストリアをキルペリク1世、ブルグントをグントラムによって分割統治されることとなる.

【フランク王国の版図】

年月日出来事
567カリベルトの死により、キルペリク1世[Chilperic I,539〜584]がパリの1/3、リモージュ、カオール、ボルドー、ベアルン、ビゴールおよびピレネー地方を領有することとなる.
キルペリク1世が西ゴート王アタナギルド[Athanagild]の娘・娘ガルスウィンタと結婚.
568キルペリク1世が妻・ガルスウィンタを暗殺.ガルスウィンタの妹・ブルンヒルド[Brunhilda]の夫であり、キルペリクの兄でもあるアウストラシア王シギベルト1世が報復を求め大民会により、リモージュ、カオール、ボルドー、ベアルン、ビゴールをブルンヒルドが相続することとなる.
573大民会の決定に不服であったキルペリク1世がアウストラシア領トゥール、ポワティエに侵攻.
584キルペルク1世が侍従エベルルフにより暗殺される.
クロタール2世がネウストリア[ソワソン]王位を承継.母・フレデグンド[Fredegund]が摂政を務める.
599ネウストリア王クロタール2世が、アウストラシア王テウデベルト2世、ブルグント王テウデリク2世と干戈を交える.
613ブルグント王テウデリク2世が死去.ブルグント王国はテウデリク2世の子・シギベルト2世が承継.但し、実質的にはブルンヒルドが統治.
アウストラシア貴族が叛乱.ブルンヒルドがネウストラリア王クロタール2世に引き渡される.ここに、キルペリク1世[Chilperic I,539〜584]の子・クロタール2世[Chlothar II,584〜629/10/18]が王国を再統合.
623アウストラシア貴族の求めに応じて、クロタール2世が子のタゴベルト1世[Dagobert I,603〜639/01/19]をアウストラシア王とする.同時に、大ピピンを宮宰とした.
629メロヴィング朝第3代国王クロタール2世が死去.子のダゴベルト1世がメロヴィング朝第4代国王として即位.
634タゴベルト1世が子のシギベルト3世をアウストラシア分国王とする.
639タゴベルト1世が死去.子のクローヴィス2世がネウストリアおよびブルグント分国王の地位を承継し、メロヴィング朝第5代国王として即位.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.





















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