大浦 Ohura

弘前藩主家となる大浦家は南部家の庶家・南部久慈家の一族を祖とすると言われる.

『可足記伝』,『津軽一統志』によると,延徳3[1491]年に十三安藤氏残党の討伐のために南部本家が久慈家の南部光信を津軽西浜種里に派兵.この南部光信が津軽鼻輪郡大浦に城を築き,嫡男の盛信を城主としたのが始まり.もっとも,同じ南部家で出羽国仙北郡金沢を本拠地とした南部右京亮を祖とするという説もある.

弘前藩初代藩主となる大浦為信[1550-1608]は久慈信義の弟の平蔵が大浦為則の婿として大浦家を継いだとされる.出羽国の大宝寺義氏と連携して,石川城主・南部[石川]高信,大光寺城主・滝本重行,浪岡城主・北畠[浪岡]顕村を攻め落城させ,津軽を平定.

豊臣秀吉とも交流し,南部家からの独立を勝ち取った.

大浦為信は津軽へと名字を変えたが,居城は堀越城であり,弘前城へと移るのは信枚の代から.

系譜

関連氏族

南部/久慈/津軽/石川/黒石津軽/一町田/尾崎/森岡/兼平/西館

関連史跡

弘前城