大原 Ouhara

出自

宇多源氏佐々木支流.近江源氏.

発祥の地

近江国坂田郡大原荘.

概略

近江国守護の佐々木信綱[1181-1242]の庶長子である大原重綱[1207-1267]を祖とする.

大原重綱は承久の乱において,鎌倉幕府第3代執権・北条泰時[1183-1242]の上洛軍に従い戦功を挙げている.鎌倉幕府内においては,鎌倉幕府第4代将軍・九条頼経の近習として活躍する.

しかし,仁治3[1242]年に父の佐々木信綱が亡くなると,弟で六角家の祖となる佐々木佐々木泰綱[1213-1276]を遺領に関して幕府に訴えている.結果として,大原重綱の言い分が認められ所領を得ることとなった.これが大原家の経済的基盤となっていく.重綱が長男でありながら佐々木家の嫡流となり得なかったのは,泰綱の母親が北条得宗家の出身であったことが大いに影響していよう.

とはいえ,大原家は佐々木家の長男の家柄ということで格式は高く,室町時代に入ると,近江守護の六角家や京極家とは別に室町幕府の奉公衆に任じられている.

しかし,大原政重の代で血統が途絶えると,六角家から高保・高賢と2代続けて当主を迎え入れざるを得なくなり,六角家の影響下に置かれるようになっていく.但し,大原高保は将軍の足利義晴・義輝父子が近江国から帰洛するに際して,大館晴光・朽木稙綱らとともに奉公衆として供奉している.

六角家が織田信長による攻撃によって没落すると大原家も六角家と命運を共にした.