鶴岡八幡宮

鎌倉に入った頼朝は大庭平太景義に八幡宮の移転を命じた。それまで八幡宮は由比ガ浜近くにあったが、これを小林郷の地に移すのである。

由比ガ浜にあった八幡宮は、伊予守源 頼義が安倍貞任を討つために下った際に石清水八幡宮を勧請したのが始まり(1063)。1081(永保元)年には子の八幡太郎義家が社殿を修理している。

現在でこそ鎌倉のメインストリートは南北を貫く若宮大路。しかし、後の鎌倉幕府が出来てから暫くの間まで鎌倉のメインストリートは東西を貫く六浦路だった。従って、六浦路沿いに主要な施設が建設されたのだ。移転に関しては、由緒ある社を容易に移すべきではないという意見もあったことは確か。そこで、頼朝自身が御神籤で遷座の可否を占ったという。

八幡宮の小林郷移転以後、由比ガ浜の元八幡宮を下の若宮、小林郷の八幡宮を上の若宮と呼んだという。

鶴岡八幡宮の初代別当には流人時代の頼朝を支えた走湯山伊豆神社住職の専光坊良暹(りょうせん)が任命されている。

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