北条五代の墓

臨済宗早雲寺

箱根湯本の臨済宗早雲寺にある北条五代の墓。左から早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直。早雲寺の地にはかつて早雲が葬られた真覚寺あった。

北条早雲の名で知られる正しくは北条早雲庵宗瑞という。伊勢新九郎長氏というのが出家以前の名で伊勢貞親の弟とされる。伊勢貞親は室町幕府第8代将軍足利義政の傳役。その弟の備中守貞藤というのが早雲だとされる。越前勝山藩主小笠原家に伝わった早雲の自筆書状で平 重盛の子の資盛を祖とする伊勢の関氏と同じ出であると書かれてあることから伊勢平氏の流れであることは明白だと考えられる。駿河の守護大名今川義忠の室の北側殿が妹であった縁で駿河に下向し、義忠亡き後の混乱を収拾した功績などにより興国寺城主となった。この混乱収拾時に扇谷上杉定正の家臣であった太田道潅と交渉している。太田道潅と北条早雲は同い年。

後に、鎌倉幕府第14代執権にして最後の得宗の北条高時の子の時行(足利基氏によって観応の擾乱後に挙兵した所を敗られ鎌倉龍ノ口で処刑)の子孫で今川家に仕えていた韮山城主北条行長が跡継ぎなく亡くなったことに伴い、一族の田中内膳の懇願によって北条行長の細君を娶ることで北条氏を承継した。この時、早雲こと新九郎60歳前後。

氏綱は春松院、氏康は大聖院に葬られたというが、これも現在の早雲寺の地に当たる。早雲寺自体は1521(大永元)年に氏綱によって建立されたが、1590(天正18)年に豊臣秀吉軍によって灰燼に帰した。墓は狭山北條家の氏治によって1672(寛文12)年に建立された。写真が暗いのは2007年7月13日の台風前夜に訪れたため。

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