河内源氏
源頼信 Yorinobu Minamoto
- 968/12/21[安和元/11/29]源満仲と藤原元方もしくは藤原致忠の娘との間に生まれます.
- 987[寛和3/02/19]左兵衛少尉となります.
- 990[正暦元]主君である藤原通兼を抜いて関白となった藤原道隆の殺害を兄の源頼光に諫められます.
- 999[長元元/09/02]上野介となります.
- 1023[治安3/08]鎮守府将軍となります.
- 1028[長元元/06]平忠常が安房守平維忠を焼殺し上総国衙を占領[平忠常の乱].
後一条天皇は,貞盛流の嫡流・平直方を良文流の平忠常への追討使として中原成通とともに派遣. - 1029[長元2]甲斐守となります.
- 1030[長元3/03]平忠常が安房国衙を襲撃し,藤原北家真夏流の安房守・藤原光業を追放.
[〃/09]朝廷は平直方を召喚し源頼信を追討使としました.
平忠常は源頼信とは主従関係を結んでいたため降伏.
これらの武功によって,源頼信は平維衡・平致頼・藤原保昌とともに藤原道長四天王と称されるようになります. - 1031[長元4/01/06]従四位下に補任されます.
- 1032[長元5/02/08]美濃守となります.
- 1047[永承2]従四位上に補任,河内守となります.
以降,河内国石川郡壺井荘を本拠地として香炉峰館を築いて河内源氏の祖となりました.
頼信・頼義・義家を河内源氏三代といいます. - 1048/06/01[永承3/04/17]亡くなりました.
- 妻子
- 修理命婦源頼義[988-1075]
源頼清[995-1073]:信濃源氏の祖. - 不詳源頼季:井上氏の祖.
源頼任:信濃河内氏の祖.
源義政
源為満の室
源頼義 Yoriyoshi Minamoto
- 988[永延2]源頼信と修理命婦との間に河内国古市郡壺井荘の香炉峰館で生まれました.幼名は王代丸.
- 1030[長元3]父・源頼信とともに平忠常を討伐するために出兵.
平忠常の乱を鎮圧後,小一条院敦明親王の判官代として勤仕. - 1036[長元9]相模守に任じられます.
源頼義は相模守在任中に,平直方の娘と結婚し,直方から鎌倉大蔵亭と郎党を譲り受けました. - 1051[永承6]常陸守・藤原師長の子で陸奥守の藤原登任[987-]が安倍氏に玉造郡鬼切部で敗戦した責任によって更迭.
代わって,源頼義が陸奥守に任じられます.源頼義が多賀城に入城すると,奥六郡俘囚長・安倍頼時[-1056]は恭順. - 1052[永承7]藤原道長の長女で,一条天皇の皇后であり,第68代後一条天皇・第69代後朱雀天皇の生母である上東門院・藤原彰子[988-1074]の病気平癒祈願の大赦が布告されます.これにより,奥六郡俘囚長・安倍頼時らの罪が許されます.
- 1056[天喜4]鎮守府将軍を兼任.
- 1053[天喜元]阿久利川事件勃発.
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.