藤原摂関家

中臣鎌足[614-669]が天智天皇から藤原姓を賜姓されたことで始まった藤原氏の嫡流で摂政・関白の地位を独占した近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家の5つの家のことを摂関家といいます.藤原氏は藤原北家全盛の礎を築いた藤原良房[804-872]が人臣として初めて摂政の座に就きました.そして,その跡を兄・藤原長良[802-856]の子・藤原基経[836-891]が叔父の養子となり,清和天皇・陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の四代にわたって実権を握ります.藤原基経の子孫は摂政・関白の地位を継承していき,藤原道長[966-1028]以降は,その嫡流の御堂流が地位を独占するに至ります.

法性寺関白・藤原忠通[1097-1164]の嫡男の六条摂政・藤原基実[1143-1166]が病で急死すると,子の藤原基通[1160-1233]が幼少であったため,藤原忠通の弟の松殿関白・藤原基房[1144-1231]が摂関の地位を継ぎます.これによって,それまで1つだった摂関家嫡流が本来の嫡流の近衛流と松殿流に分かれます.但し,松殿流の松殿家は松殿基房の三男・松殿師家[1172-1238]が摂政となったものの,基房・師家父子は平清盛[1118-1181]の勘気を蒙って失脚.その後,源義仲[1154-1181]が平家を追うと,父子は地位回復を狙って源義仲に接近.それがために,源義仲が源頼朝に討たれると没落してしまいます.

普賢寺関白・藤原[近衛]基通は母方の伯父・藤原信頼[1133-1160]が平治の乱[1160/01/19;平治元/12/09]の首謀者として斬首されていたために苦しい立場に立たされていました.しかし,父親の藤原[近衛]基実が平清盛の娘・平盛子[1156-1179]を正室として迎え,かつ,平盛子を養母とする基通自身が平清盛の六女・平完子を正室として迎えたことで勢力を盛り返します.

平家が滅亡すると,叔父の後法性寺関白・九条兼実[1149-1207]に取って代わられます.九条兼実が住んだのが藤原基経が建てた京都九条の九条殿でした.このため,九条兼実から始まる流れは九条家と言われるようになります.

藤原北家出身の武家

藤原北家魚名流安達氏
山蔭流伊達氏
秀郷流下野国佐野氏/藤姓足利氏/小山氏/長沼氏/皆川氏/薬師寺氏/長沼氏/田沼氏/下野小野寺氏/榎本氏
上野国赤堀氏/岩櫃斎藤氏/桐生氏/佐貫氏/大胡氏/山上氏/園田氏
常陸国那賀氏/安島氏/小野崎氏/小貫氏/内桶氏/茅根氏/根本氏/助川氏/川野辺氏/佐藤氏/水谷氏/常陸江戸氏/綿引氏
武蔵国比企氏/吉見氏
下総国結城氏/下河辺氏/伊藤氏
相模国山内首藤氏/波多野氏/沼田氏

posted by N.Tateno.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.