百々橋

上京区寺之内通堀川東入ル百々町にある百々橋[Dodobashi]の礎石.百々橋は上京区百々町と宝鏡院東町の境を流れていた小川[Kokawa]に掛かっていました.橋の名前は近くの辻が百々ノ辻と呼ばれたり,同じく近くの宝鏡寺が百々御所と呼ばれたことに由来します.

応仁の乱の時,東軍の細川勝元と西軍の山名宗全が橋を隔てて何度も合戦を行ったことで知られています.

応仁の乱の当時は百々橋は木造であったと考えられていますが,近世に石橋に架け替えられました.

そして,小川自体が1963年に埋め立てられて百々橋も役割を終えて解体.ここに,礎石のみが残されることとなりました.


【2005/12/10】


【百々橋近くの町並み】

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