閑院跡

押小路通小川西入古城町の西福寺の辺り西洞院通、押小路通、油小路通、二条通に掛けては、かつて藤原冬嗣が屋敷を構えた場所。

それを藤原道長を支えた叔父の閑院大臣・藤原公季[956-1029]が伝領し閑院流の祖となりました。

藤原公季の孫・公成の娘・茂子が後三条天皇との間にもうけた皇子が白河天皇として即位したのを初めとして、鳥羽天皇・崇徳天皇・後白河天皇が閑院流から出ました。

権大納言公実の子らが三条家・西園寺家・徳大寺家の三清華家を立てて大いに繁栄しました。

なお、閑院邸は高倉天皇[在位:1168-1180]の時代に里内裏として利用され始め、皇統が持明院統と大覚寺統とに分かれる後深草天皇[在位:1246-1200]の時代まで里内裏として用いられました。

系譜

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