松皮菱

阿波国守護家の小笠原氏の一族である一宮氏の家紋として知られる.

一宮

清和源氏小笠原氏流.阿波小笠原氏の祖となる阿波国守護・小笠原長房[1213-1276]の四男・小笠原長宗が延元3[1338]年に一宮宗成を滅ぼし阿波一宮城を拠点とし一宮氏を称したのが起源.

小笠原長宗は南朝方として,北朝方の細川頼春に攻められる.小笠原長宗が亡き後は子の一宮成宗が細川頼春の子・細川頼之に敗れ軍門に降った.これにより,一宮成宗は引退し,子の一宮成行が細川氏の被官となる.

細川氏の被官となって後,一宮氏は有力国衆である三好氏との関係を取り結ぶ.しかし,阿波国守護・細川持隆[1516-1553]が長慶の弟・三好実休により見性寺において弑殺[勝瑞事件;1553]されると状況に変化が生じる.天正5[1577]年3月,三好長治が傀儡として擁立していた細川真之[1538-1582]と戦い[荒田野の戦い]に突入すると,一宮成祐は細川真之方として挙兵.遂には,三好長治を追い詰めて自刃させる.

これを好機と見た長宗我部元親は阿波国に侵攻.長宗我部元親の後援を得た一宮成祐は三好方の篠原自遁や三好長治の弟・十河存保と攻防を繰り広げた.織田信長に降った三好康長が織田軍を率いて畿内から四国に侵攻すると,一宮成祐は長宗我部元親から離反し織田方となる.

織田信長が本能寺の変で斃れると,後ろ盾を失った三好康長は四国を退去.再び,長宗我部元親が阿波国へと侵攻.天正10[1582]年,十河存保と長宗我部元親は中富川の戦いで激突.勝瑞城は包囲され十河存保は降伏.阿波国の諸将は赦されたが,一宮城主・一宮成祐と富岡城主・新開道善は長宗我部元親により殺害.弟の一宮成孝は讃岐国へと逃れ命脈を保った.

大井

清和源氏小笠原氏流.小笠原長清の七男・朝光が信濃国佐久郡大井郷の地頭となったことで大井を称したことが起源.大井光長は信濃守護・小笠原政長の守護代を務めた.

松本

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.