三つ盛亀甲に花菱

戦国時代の北近江の戦国大名である浅井氏の家紋として知られる.

浅井

浅井重政が藤原北家閑院流正親町三条[嵯峨]家の正親町三条実雅の子・正親町三条公綱の落胤という伝説もある.このため,藤原北家閑院流正親町三条[嵯峨]庶流とされる.

これは,物部姓守屋流の在地豪族が公家庶子を入り婿として迎えたことを反映したものと考えられる.

正親町三条実雅[1409-1467]は室町幕府6代将軍・足利義教の側近.

浅井氏は京極氏の譜代家臣であり,今井氏・河毛氏・赤尾氏・安養寺氏・三田村氏と並んで根本被官であった.浅井亮政[1491-1542]の代に,浅見氏を中核とする有力国人衆による京極家中支配体制を打倒し,京極家中における覇権を確立.

主家である京極家,南近江の六角家,美濃国守護代の斎藤氏との抗争を繰り返す中で,越前国守護の朝倉家と同盟を締結.その後,浅井長政は台頭してきた織田信長と同盟するも,結局は朝倉義景との関係を断ち切ることは出来ずに,織田信長と干戈を交えることとなり滅亡.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.