丸の内に七つ亀甲

伊予国の国衆である伊予金子氏などの家紋.

伊予金子

桓武平氏村山党.武蔵国入間郡金子を本貫地とする.祖である金子家範の曾孫・広家が金子一族の所領の伊予国新居郡に下向し土着したことが伊予金子氏の起源.

室町時代,新居郡は伊予国守護・河野氏ではなく,讃岐国守護・細川吉兆家の支配下にあった.細川吉兆家は石川氏を派遣して統治を行った.

金子元宅[1551-1585]は石川道清の娘を妻に迎え国衆の中において指導的立場に立つ.

天正13[1585]年,豊臣秀吉による四国攻めが行われると,豊臣秀吉の命を受けて侵攻してきた小早川隆景[1533-1597]の大軍を岡崎城,金子城で迎え撃った.岡崎城,金子城が落城すると高峠城に入り,高峠城主石川備中守の他,高橋氏・松木氏・藤田氏・菰田氏・野田氏・近藤氏・塩出氏・徳永氏・真鍋氏・丹氏・久門氏・難波江氏を高尾城に据えて,小早川隆景の大軍と対峙.しかし,衆寡敵せず,野々市ヶ原に打って出て討死.伊予金子氏は時代の表舞台から姿を消した.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.