丸に洲浜

大隅国の国衆・本田氏の家紋.

本田

桓武平氏.本田親幹を祖とする.本田親幹の孫・親恒は畠山重忠[1164-1205]の被官であったことが知られる.島津氏初代の島津忠久の烏帽子親が畠山重忠であった関係から,畠山重忠が北条時政らによって討たれると,本田親恒・貞親父子は島津忠久を頼って薩摩国へと下向.

鎌倉時代・南北朝時代と本田氏は大隅の清水城を本拠地として島津氏の守護代を務めた.

しかし,大永6[1526]年,本田董親[ただちか]は新納忠勝と同盟し,島津氏第14代・島津勝久[1503-1573]と対立.島津勝久が薩州家の島津実久に追われ,さらに,伊作忠良・島津貴久父子が島津宗家相続に名乗りを挙げると,本田董親は伊作忠良・島津貴久父子を支持した.

島津氏からの独立の志向は強かったものと考えられ,本田董親・重親父子は無位無官の島津貴久より上位の従五位下紀伊守と従五位下左京大夫に,日野町資将や近衛家を通じて任官されている.こうした動きは大隅国守護職を目指していると捉えられ,天文17[1548]年に島津貴久に清水城を攻められ,本田重親は妻の実家の北郷氏を頼って落ち延びた.

後に,本田氏は島津氏への帰参が許された.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.