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牛久藩山口家

牛久藩主の山口家は戦国大名・大内氏の流れを汲む家柄.

大内義弘の次男である持盛は長門守護として長門国の統治を任されたが,周防守護他の守護職を承継した惣領家である大内持世との対立を生じた.そもそも,大内持世は持盛の長門守護職を室町幕府の圧力によって渋々認めたに過ぎない.国人衆が大内持世を支持すると持盛を攻め,豊後国篠崎にて討ち取った.

持盛の子の教幸は,内藤武盛・仁保盛安・吉見信頼・周布和兼の支援を受けて,惣領家の大内政弘が京都へ出陣すると周防で叛旗を翻した.

しかし,周防留守居役の陶弘護によって撃退される.追い詰められ,結局は豊前馬ヶ岳城にて自害.その子の仁世は周防の地を離れ尾張の地へと流れた.何故に尾張だったのだろうか.

重政の代に至って,織田信長家臣の佐久間正勝に仕えた.山口氏という名は周防国山口を本拠として過去に由来する.

その後,山口重勝は織田信長の次男・信雄の家老である星崎城主岡田直孝に仕えた.

【歴代】
代数当主・藩主備考
1山口重政常陸国牛久藩主[1600-1613]→無届縁組により改易→常陸国牛久藩主[1628-1635]
2山口弘隆常陸国牛久藩主[1635-1677]
3山口重貞常陸国牛久藩主[1677-1698]
4山口弘豊常陸国牛久藩主[1698-1731]
5山口弘長常陸国牛久藩主[1731-1768]
6山口弘道常陸国牛久藩主[1768-1783]
7山口弘務常陸国牛久藩主[1783-1787]
8山口弘致常陸国牛久藩主[1787-1829]
9山口弘封常陸国牛久藩主[1829-1839]
10山口弘穀常陸国牛久藩主[1839-1849]
11山口弘敞常陸国牛久藩主[1849-1862]
12山口弘達常陸国牛久藩主[1862-1871]→廃藩置県

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