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武田徳川家

甲斐武田氏の御一門・穴山信君[1541-1582]は天正10[1582]年の織田・徳川連合軍による武田領侵攻に際して,武田氏を離れて徳川家康に臣従.穴山信君は秋山越前守虎康の娘・都摩[下山殿]を養女とした上で徳川家康の側室として送り出した.甲斐武田氏滅亡後の本能寺の変において穴山信君は落命.穴山武田家は穴山信君と武田信玄の次女・見性院との間の子・勝千代が武田信治として承継.しかし,武田信治は早世.ここに穴山武田家は断絶.

穴山武田家の断絶を惜しんだ徳川家康は,見性院を後見人として,下山殿との間に生まれた万千代を武田信吉として武田家の名跡を承継させた.穴山家臣団および武田遺臣らも武田信吉に付属した.

武田信吉が慶長8[1603]年9月11日に21歳で世を去ったことで武田家は再び断絶.

【歴代】
代数当主・藩主備考
1武田信吉甲斐国河内領主[江尻領・駿河山西・河東須津を含む]→下総国佐倉藩主[1593-1602]→常陸国水戸藩主[1602-1603]

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