安倍[安倍玄的家] Abe

出自-
発祥地新潟浜村内流作場新田[新潟県新潟市]
分布
備考新潟市の旧流作場を開拓した家.
流作場[Ryuusakuba]というのは川などの堤防の内側に作られた耕作地のこと.
1684[貞享元]年に沼垂町は信濃川の流域が変化したことによって移転.しかし,移転後も沼垂は信濃川に侵食され,逆に,新潟町側に湊島という新しい島が出現することとなる.沼垂町と新潟町は,この新しい島である湊島の領有を巡って争う.1699[元禄12]年に,江戸幕府による裁定によって湊島は新潟町の帰属と決まる.
湊島は成長を続け,新潟町よりは沼垂町に近くなっていく.その結果,湊島は附寄島と呼ばれるようになり,沼垂町は,再度,島が沼垂町帰属することを主張するに至る.しかし,改めて新潟町の所有であることが確認された.
新潟町を支配する長岡藩主の牧野忠敬は,1746[延享3]年に,安倍玄的・近江屋曾平・寺山幸助・中倉源兵衛・関川助市に附寄島の開拓を命じる.
以降,附寄島は開拓者の名前に因んで玄的新田と呼ばれるようになった.
関連氏族

阿比留 Abiru

出自蘇我氏,対馬直
発祥地対馬国[長崎]坂
備考
関連氏族

安蒜 Abiru

出自藤原氏
発祥地上総国安蒜郡[千葉君津市,木更津市]
備考安蒜氏はこの安蒜庄周辺を発祥の地とする.813[弘仁4]年に対馬に渡り在庁官人として勢力を誇った.
久留里の周辺が畔蒜庄と呼ばれていたことが知られている[『東京地学会報告』].
鎌倉時代には畔蒜庄が置かれ熊野山が開発領主であり,足利義兼と和田義盛が地頭を務めていた.1283[弘安6]年には和田氏が地頭を務めた地域は北条氏が領するところとなる.
安蒜庄のうち永吉郷は平胤清,そして,その子である胤朝・胤連兄弟に受け継がれた.
安蒜氏は室町時代になると千葉氏配下の小金城主・高城氏の家臣として歴史の表舞台に出てくる.現在、松戸市などで見受けられる安蒜氏はこの高城氏の家臣の末裔だと思われる.
関連氏族

安達 Adachi

出自藤原北家>魚名流
発祥地武蔵国足立郡[埼玉県さいたま市周辺から東京都足立区]
分布新潟県小千谷市片貝町・西蒲原郡弥彦村矢作,鳥取県米子市和田町,島根県松江市手結・恵曇町・佐陀本郷・熊野に多い.
備考源頼朝の流人時代からの側近である安達盛長を祖とする家柄.安達盛長の父親は藤原北家魚名流の小野田兼広と言われる.安達盛長の兄は藤原遠兼であり,その子は足立遠元.藤原遠兼が武蔵国足立郡に土着したことによって足立を名乗ったという.安達氏の名乗りも足立に由来すると思われる.
鎌倉幕府の第8代執権・北条時宗が亡くなると,御家人の筆頭格であり,北条得宗家の外戚でもあった安達泰盛と,北条得宗家の内管領である平頼綱との対立が激化.1285[弘安8]年,平頼綱が安達泰盛主従を襲撃し自刃に追い込んだ[霜月騒動].続く戦闘で安達一族約500名が自刃.
全国でも安達一族の追討が行われ,上野国・武蔵国では全滅に近く,遠江国では安達宗顕,常陸国では安達重景が自刃,九州では泰盛の子である安達盛宗が討ち取られた.
越後国や出雲国などでは命脈を保った.
関連氏族

饗庭 Aeba

出自土岐氏
発祥地美濃国[岐阜]大野郡相羽庄
関連氏族近江国[滋賀]高島郡饗庭を発祥の地とする一族は同族.
備考土岐光行の子・光俊が美濃国[岐阜]大野郡相羽庄を本拠として饗庭を名字としたのが始まり.

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.





















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