[裁判所の設置(明治4年12月26日)] 

 「裁判所」という名称は、もともとは長州毛利家(長州藩)の宰判と呼ばれた代官支配地が起源とされている。
 明治維新政府は地方行政機関である裁判所を各地に設置した。この裁判所というものは地方行政機関であって、長州の宰判所と同じ役割を担っていた。つまりは、維新政府はその母体となった長州藩の行政組織をそっくりそのまま全国組織として採用したということになる。
 しかし、明治4(1871)年8月には、聴訟と断獄と呼ばれた司法機能が地方行政組織としての東京府から司法省に移管されたことに伴って、司法省が東京裁判所を新設する。これは現代的意味における裁判所([参考]徳川幕府時代の裁判所について)。
 その後、翌年の8月には、司法省裁判所、府県裁判所そして区裁判所が設置される。これが、明治8(1875)年にはそれぞれ、大審院、上等裁判所、そして府県裁判所となる。
 そして、上等裁判所は控訴裁判所から控訴院となり、区裁判所は始審裁判所を経て地方裁判所となった。大審院は現在の最高裁判所に、控訴院は高等裁判所に相当する。