第1次ポエニ戦争は紀元前264年に幕が切って落とされた.第1次という名称でわかるように,この戦争は,その後に続く一連の戦争の始まり.この第1ラウンドは,地中海を挟んで両大陸に対峙する(軍事国家)ローマと(経済国家)カルタゴとのシチリア島の支配権を巡る闘いであった.最初に,ローマがカルタゴ支配下のシチリア島の諸都市を占領し,これに反攻する形でカルタゴが海軍によって攻撃を加える.しかし,結局,軍事力で勝るローマ軍はカルタゴ海軍を全滅させた.この闘いは,経済国家カルタゴ帝国の国家建設以来初の海上における敗北となった.

とはいえ,この戦争は総じてローマとカルタゴのどちらか一方が決定的な勝利を納めたという性質のものではなかった.
双方共に余力を残しつつ戦争は終結したのである.その結果,ローマとカルタゴとは紀元前241年に,講和条約を結ぶ.
この講和条約によって,カルタゴは別に影響がないシチリアを放棄し,ローマに多額の戦争賠償を支払う.
ローマにとって多額の賠償金を支払っても,カルタゴの側にしてみれば,まだ十分な経済力はあった.

この講和後まもなく,不幸なことに,カルタゴでは傭兵の反乱が発生する.ローマはカルタゴの国内混乱に乗じて,紀元前238年に
コルシカ島を占領するに至る.さらに,ローマはイタリア半島のサルデーニャ西部からもカルタゴ勢力を放逐する.
これらの一連の軍事行動は全てカルタゴとの間の緩衝地帯形成を目指したものであった.

カルタゴもこのローマの攻勢に対して,イベリア半島を中心に勢力を拡大していくことになる.
このような状況のもと,事態は再び2大勢力の前面衝突へと突き進んでいくのである.