[ 廻船式目31ヵ条 ]
 日本古来の海法と言われる法規。「廻船式目」と書いたけれども、正式な名称というものはなく、「廻船大法」「船法度」「船法」とも呼ばれていた。 条文数も追加されたものなどがあり名称と同様に一定していない。海上運送における慣習法を成文法に昇華させた性格を持つことから、その成立年代についても確固としたことは言いがたい。 しかし、1223(貞応2)年に摂津兵庫辻村新兵衛、土佐浦戸篠原孫右衛門、薩摩房野津飯田備前らが作成した海法に北条義時が袖判を加えたことがということが知られている。これによって、成文法としての「廻船式目」が鎌倉時代前期の成立とする考え方もある。もっとも、この成立の謂れについては後世に作られたものだとする見解が根強い。 鎌倉時代ではなく、少なくとも室町時代まで下るのではないかと言われている。現在までに複数の廻船式目が伝えられていて、土佐浦戸に遺され「土佐編年史」収められたものは31条からなるが、伊豆に伝えられ「古今消息集」に掲載のものは43条と条文数からして定まっていない。当然、中身についても伝えられるそれぞれに関して大小の相違が見受けられる。 こういう点からみても、そもそも「廻船式目」が慣習法として日本各地に伝えられたものが集大成されてほぼ統一の内容を持つに至ったものであるということが出来よう。 この「廻船式目」の内容については、抽象的ではなくかなり具体的で、借船、積荷の損害補償、船舶衝突における責任分担、そして漂着船の処理方法などならなる。 なお、豊臣時代に「海路諸法度」が制定されているが、この法規も「廻船式目」を下敷きにしたものと言える。

[参考文献] 住田『日本海法史』