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浄土宗宝樹山極楽寺

多摩川方面から八王子の中心部に入るところに位置する。丁度、この寺のある辺りから町が始まっている。
この寺には、玉田院と塩野適斎の墓があることで知られる。
玉田院(1579-1608)は、俗名を小督といい、天正10(1582)年に高遠城で討死した仁科五郎盛信の息女で甲州の雄、武田信玄の六女の松姫尼の姪として知られる。
八王子奉行の大久保長安に願って元横山の大義寺に隣接する地で寺を建立し玉田院と名付けた。元横山というのは、八王子城下の地名である。その地に安住を求めたが、29歳でこの世を去る。後に、高遠城で討死した仁科盛信の曾孫に当たる、玉田院の縁者である仁科資真が元横山から極楽寺に改葬した。
 そして、塩野適斎は、言わずと知れた「新編武蔵風土記稿」を原胤敦らとともに編纂したことで知られる。彼は、江戸の西方を固める八王子千人同心の1人で、享和年間には幕命によって蝦夷地経営に辣腕を発揮している。
 現在、多摩地区、都心部などの史跡の研究に「新編武蔵風土記稿」は欠かせない史料である。
 八王子の町は、この辺りから東に向けて長く広がっている。この点は、もう一つの多摩地区の中心都市である立川(旧軍都)が南北に伸びる町並みを形成しているのと対照的で面白い。なお、JRの八王子駅は中心部を形作る東西のラインから少し南にいったところに位置する。人の集まる場所は、駅の辺りに移りつつある。