← [10番 万松山大慈寺]

 町中の語歌堂から、同じく横瀬ではあるが山すそにある大慈寺へ行く。すぐ近くだ。
駐車場の位置が分からず、門前の標識に沿って進むと駐車場らしきところがあった。そこにも標識があって、今度は逆の方向、つまり今入ってきた方向を指している。後で分かったが駐車場は参道を寺とは逆の方向に直進したところに位置していた。
 そうこうして、石段を登ると仁王門が出迎えてくれた。この寺のご本尊は議論好きのようで、その昔、摂津国からきた儒者と問答しその儒者を仏道に帰依させたという話が伝わっている。

 埼玉県秩父郡横瀬町川西5151


[15番 母巣山少林寺] →

 秩父鉄道の線路を越えて境内に入る。手前でタクシーが横瀬方面から左折するのを見て、ひょっとしてと思ったがそのまま踏み切りを一回横断した。地図を見ながら線路沿いの道を左に進み再び踏み切りを渡る。
 境内から向かって左を見ると奥のほうに駐車場があった。やはり、さきほどのタクシーは少林寺へのものだった。地元のことは地元のタクシーが一番良く知っているということかもしれない。



 さて、この少林寺の直ぐ近くには秩父妙見宮がある。秩父15番札所は母巣山蔵福寺と言われ、長らく妙見宮の別当寺だったものが、明治の排仏毀釈で廃寺となった。その後で、民衆の請願によって、五葉山少林寺が15番札所として認められ母巣山少林寺となったという。
 この少林寺の地は、秩父困民党事件の際に一度集結した場所とのこと。ここから秩父へと雪崩れ込んだという。その名残は、内務大臣山縣有朋の手による殉職警官の碑文に見ることが出来る。

埼玉県秩父市番場町7-9



[23番 松風山音楽寺] 臨済宗南禅寺派  

 ここは、初めて秩父を巡ったときに、22番を回ってから行こうと計画していたところ。その時は、疲れてしまって22番の近くの古城跡を見て西武秩父の駅に向かってしまった。 というわけで、当然のことながら、音楽寺の周辺は見覚えがある。荒川に架かっている大きな橋もしかり、橋を渡ったところにある「おまんじゅう屋」さんもしかり。残念ながら、この「おまんじゅう屋」に入る機会を逸したので「おまんじゅう屋」さんの名前が記憶に薄い。機会を逸したというのは、他ならない「おまんじゅう」を食するには少し時間が早かったということ。

 橋からの道をそのまま進むと音楽寺の標識が見えてくる。
 観音堂は音楽寺から一段高くなった場所にある。駐車場からは2本の道が伸びているが、その道を真っ直ぐに登ると観音堂に至る。本堂を経由するなら向かって右へと進む。この辺りは少し迷いやすい。案内板が右に少し入ったところにあるからだ。もっとも、観音堂に先に行っても帰りには本堂を見ることが出来る。観音堂に直行して駐車場へ直帰するというのもある。
 ともあれ、当日は案内板に従って本堂を先に見て、それから観音堂へという道を辿った。この観音堂は『秩父回覧記』が記された長享2(1488)年当時は現在の位置よりもさらに高いところにあったという。後に観音堂を管轄権を納めた音楽寺自体は田村郷円福寺の二世南岩天揚の開山。
 この地もまた、15番少林寺と同じく秩父困民党にちなむ地であり、境内には「秩父困民党無名戦士の墓」が立つ。

埼玉県秩父市寺尾3773


[24番 光智山法泉寺] →

 31番の観音院ほどではないけれども、ここも長い石段がある。全部で116段。と書けばそれだけの話だが、きちんと数えた。手元に置いてあるパンフレットに116段と書いてあったのだが、事前にはそれを確認しなかったので数えた。そして、数え間違えて、メモ帖には11"7"段と記した。
 そこれはともかく、当日、この116段を2人の姉弟が勢い良く駆け上っていった。はや歩きではなく駆け上がったのだ。なんとも元気がいい。
 この寺は、武蔵国の恋ヶ窪の遊女の病を秩父から来た僧侶が治癒させたという話が伝わっている。旧鎌倉街道沿いの恋ヶ窪だ。秩父という土地は武蔵国の各地と繋がっている。
秩父市別所1568