[8月革命説]

 日本国憲法は形式としては、大日本国憲法の改正を経て成立したとされています。 しかし、この日本国憲法の成立過程に関しては問題が指摘されてきました。
 まず、憲法というものは、その国の国民の自由な意思に基づいて制定されなければならないということは言うまでもありません。この点、日本国憲法はポツダム宣言の受諾後に進駐してきたGHQによって強制されたという考え方が唱えられてきました。日本国憲法は国民の選挙によって選ばれた国民の代表たる国会によって成立した憲法であり形式的には国民の自由意思に基づいていると言えます。しかし、その一方で、GHQの意向を無視できない状況にあったことも事実です。こうした憲法押し付け論に対しては、ポツダム宣言は日本に対する一方的な命令ではなくて休戦条約であって、その後で制定された日本国憲法も決して押し付けではないという反論がなされています。
 次に、日本国憲法の前文の矛盾ということがあります。日本国憲法の前段では主権が国民にあるということを国民が宣言したのだとあります。しかし、その憲法は天皇主権を定めていた大日本国憲法(明治憲法)の改正として成立したという形式を採用しているのです。これは、憲法改正の限界という議論になるわけですが、およそ憲法がその憲法の本質を転換するような改正を認めるということは考えることが出来ない。そういうことからすると、天皇主権を定めた大日本国憲法の改正としての国民主権の日本国憲法というのは成立し得ないということになってしまうわけです。
 この点を矛盾なく説明しようとしたのが、宮沢俊義の8月革命説です。
 1945年8月のポツダム宣言受諾によって、日本では天皇主権から国民主権へと体制を転換する一種の革命が起こった、こう考えるのが8月革命説です。こう考えるなら、日本国憲法をわざわざ大日本国憲法の改正として成立させなくても良さそうなものです。しかし、日本国憲法を大日本国憲法の改正として成立させたのは、あくまでも便宜的なものだったと考えるわけです。