山形県
山形県は、最上、村山、庄内、置賜の4地方からなる。
山形という地名は平安時代に編まれた『倭名類聚抄』に山方郷として出てくる。
また、出羽路の主要宿駅として延喜式にも記載がある。
その後、室町時代(正平11[1356]年に羽州探題斯波兼頼が入部したことで、城下町山形の原型が形成された。
そして、斯波兼頼から11代の後裔、最上義光の時代に名目57万石、実高100万石とも言われるほどにまで成長した。
しかし、最上家は義光亡き後に家内で内紛があり改易され、以後は譜代大名が代わる代わる入部。明治維新前夜の藩主は水野忠弘で5万石。
現在の山形県は、この旧山形藩に上杉家の支配した旧米沢藩を主体として形成された。
とは言っても、現在の山形県に相当する地域には、米沢、新庄、上山、天童、荘内、松山、山形、長瀞の8藩及び幕領・他藩の飛び地があり複雑に入り組んでいた。
明治政府は、このうち幕府領などを中心として、明治元年9月29日に酒田に民政局を設置。この酒田民政局が酒田県、後の山形県の原型となる。
この酒田民政局は戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟の中核となって戦った庄内藩の領地を管轄した。庄内藩は、新政府によって一度は会津若松への転封が決定。その後に、領民の運動によって、会津若松への転封が取り消されて、大泉藩として復活することになる。つまり、旧庄内藩は、大半を継承する大泉藩と酒田民政局に分かたれたのである。
このうち、酒田民政局は酒田周辺諸藩を統合して酒田県となる。
さらに、村山地方の四藩の飛び地と山形藩領、大網藩(旧長瀞藩)と酒田県を合わせて山形県が発足。
ここに、山形県、大泉県、米沢県、新庄県、上山県、天童県、松嶺県の山形七県体制となる。
七県とはいっても、山形県内の酒田は元は大泉県に含まれてしかるべき地。当然、酒田と大泉県の統合運動が興る。
そこで、新庄県と上山県が山形県に吸収され新山形県が形成され、大泉県と松嶺県が合併した際に酒田は山形県を離れて大泉県と松嶺県と統合を果たす(酒田県の誕生)。
こうして、現山形県に山形県、酒田県、そして旧米沢県である置賜県の三県体制となる。
これら三県を統合して現山形県が誕生する。
酒田県は旧庄内藩系、置賜県は旧米沢藩系であるのに対して、旧山形県は旧庄内藩12万石、旧米沢藩14万石と比較して小藩の寄せ集めであったこと、中心地である山形を統治していた水野忠弘が明治3年に近江朝日山5万石へ移封となったことなどの背景から、統合された新山形県の県庁は政治色の薄い山形に置かれることになる。

庄内地方は、 鶴岡市、酒田市、遊佐町、八幡町、平田町、松山町、立川町、余目町、藤島町、三川町、羽黒町、櫛引町、朝日村、温海町からなる地域。
最上地方は、新庄市、金山町、舟形町、真室川町、最上町、大蔵村、鮭川村、戸沢村からなる。
村山地方は、山形県の県庁所在地である山形市の他、寒河江市、上山市、村山市、天童市、東根市、尾花沢市、中山町、山辺町、朝日町、大江町、河北町、西川町、大石田町からなる。
置賜地方は、米沢市、長井市、南陽市、川西町、高畠町、飯豊町、小国町、白鷹町からなる地方。






[市部] 山形市 | 米沢市 | 鶴岡市 | 酒田市 | 新庄市 | 寒河江市 | 上山市 | 村山市 | 長井市 | 天童市 | 東根市 | 尾花沢市 | 南陽市 |

[東村山郡] 中山町 | 山辺町 |

[西村山郡] 河北町 | 西川町 | 朝日町 | 大江町 |

[北村山郡] 大石田町 |

[最上郡] 金山町 | 最上町 | 舟形町 | 真室川町 | 大蔵村 | 鮭川村 | 戸沢村 |

[東置賜郡] 高畠町 | 川西町 |

[西置賜郡] 小国町 | 白鷹町 | 飯豊町 |

[東田川郡] 立川町 | 余目町 | 藤島町 | 羽黒町 | 櫛引町 | 三川町 | 朝日村 |

[西田川郡] 温海町 |

[飽海郡] 遊佐町 | 八幡町 | 松山町 | 平田町