東漢氏
東漢氏は朝鮮半島の百済国から十七県の人々を引き連れて応神帝時代に大和国に渡来した阿智使主(あちのおみ)を祖とする一族。阿智使主は七姓漢人(朱・李・多・皀郭・皀・段・ 高)と共に日本に渡ったとされている。彼らの子孫は桑原・佐太氏になる。征夷大将軍として悪路王(アテルイ)を討った坂上田村麻呂は、この東漢氏の流れに連なる。その坂上氏の系図である姓氏録逸文にある坂上系図は阿知使主の祖を後漢の霊帝としている。これは「漢」の字からの想起と考えられる。むしろ、加羅諸国の中にあった安羅と阿知の類似などから安羅国に出自を求める説が有力。早くから多くの枝族からなり、飛鳥の檜前を本拠地としていた。これらの枝族は同一の系譜に掲げられてあるが、その関係が対等に近いものだったことから、東漢氏は総称であり同族集団であったと考えられている。
文筆の他に武芸にも秀でたことで知られ、武力氏族大伴氏、物部氏没落後に蘇我宗家を武力で支えた。蘇我氏の指示の下、蘇我系の崇峻帝を暗殺した東漢駒は駒子直だとされている。
蘇我宗家に仕えた東漢氏だが、蘇我宗家が討伐された壬申の乱の以後も武力を以って、大和朝廷に仕えた。その中に蝦夷討伐で名を馳せた苅田麻呂・田村麻呂がいる。