植村氏_清和源氏頼光流土岐支流
植村(土岐)源三郎持益
初め、土岐光貞と名乗った。明応年間(1492-1501)に美濃国から遠江国上村郷に移住して上村を名字とした。その後に遠江国から隣国の三河国に進出し松平長親の家臣となる。
植村新六郎(新五郎)氏義
松平信忠の家臣。
植村新六郎氏明
天文4(1535)年12月5日、徳川家康の祖父松平清康が尾張国守山に出陣の折に家臣の阿倍弥七郎に刺殺された「守山崩れ」で阿倍を討つ。「守山崩れ」の後、織田信秀が松平信定とともに侵攻してきた際にも奮闘。後に今川家の後援によって復帰した松平廣忠を襲った浅井某(或は蜂屋某)を討ち取ったことでも知られる。
植村與三郎安政
初め徳川家康に仕え、永禄9(1566)年に命により本多忠勝の配下となった。